パールエンジェルの理念
かつて、アコヤ真珠の美しさに心を奪われたことから物語は始まりました。しかし、真珠の養殖を通じて、海が直面している深刻な問題に気づくことになりました。
その危機感に、ただ手をこまねいているわけにはいかないと強く感じさせたのです。
海を守りながらも新しい形で水産物を生み出したい。その思いを陸上養殖という形で実現しました。
そして真珠を育てる過程で、さまざまな海の恵みも陸上で育ててきました。地球上の資源が日に日に減少していく中、この持続可能な技術は今後の食糧危機に対する一筋の光となることでしょう。
科学と文化は両輪で回ると信じています。
海から学んだ大切な教訓を胸に、これからも美し い自然を次世代に引き継いでいく責任を果たしていきたいと思います。
持続可能な食糧生産を通じて、地球環境を守り続けることが弊社の使命。
美しい地球を未来へとつなぐ、そのために今日も前進し続けます。
パールエンジェル創設者の想い
母方の祖母が真珠の輸入業をしていたことで、幼少期から真珠は身近な存在でした。無造作に置かれた真珠を見て育ったため、それが高価なものだとは思っていませんでした。
洋裁をしていた母の影響か、就職先はジュンアシダのパタンナー。そこで働く間に思いがけず、真珠で知られるミキモトとの縁ができました。
真珠を知るにつれ、ジュエリーと洋服が別々の産業であることに違和感を抱くようになります。身につけるのは一人なのに、なぜ別々につくられているのだろう?そんな疑問を持ちつつ、次第に真珠全般に興味を持つように。
偶然、宇和島へ真珠の勉強をしにいったことから、真珠というものの魅力にとりつかれたのは、約30年近く前のことです。真珠生成の不思議、真珠の歴史、真珠の可能性…、まだ知識が不十分だった自分なりに、真珠アクセサリーの販売会社を立ち上げました。デイリーに使える真珠のアクセサリーで、女性のシアワセのお手伝いをしているつもりだったのです。
そんななか、国内の真珠の質が落ち、生産量も減っているなど、悪い情報ばかり耳にするようになります。
私には「真珠の師匠」と呼んでいる人がいました。宇和島で養殖業を営んでいた松下努さんです。彼が「この海は死んでいる。今後、我々がやるべきは自然環境に逆らわない陸上養殖だ」と言い続けていたことが現実に迫ってきたのです。
そんな言葉を残して亡くなった松下師匠。その意志を継ぐべく、これまでのかけ流し陸上養殖ではない新しい陸上養殖のことが頭から離れなくなりました。無論、いまでこそ一般的になった「持続可能な」方法によってです。
けれど、陸上養殖について学び、さまざまな場所へ話を聞きに行くたび、それがいかに難しいことかを切切とレクチャーされます。そのたびに「これはやるしかない!」と、火がついていた自分…。
そして、私のねばりに根気負けしてか、国立水産研究機構(要確認:国立研究開発法人 水産研究・教育機構?)がコンソーシアムを組んでくれることになったのです。それが株式会社タマの設立のきっかけでした。
多くの研究所、機構、製薬会社、教授や研究者、県庁までもが協力してくださいました。素晴らしいメンバーが揃い、補助金の給付には万全な体制と思って申請しましたが、残念なことに叶いませんでした。なぜ私は運が悪いのだろうと心が折れそうになりながらも、諦めの悪い私は、自腹で何度か新たな陸上養殖プロジェクトにトライしました。
2019〜2021年にかけ、日本各地でアコヤ貝の稚貝が大量死する被害が出たことから、2023年以降は、真珠の生産量が激減すると言われていました。真珠の仕入れ価格は4倍になり、私たちには仕入れもできないような状況です。日本のお家芸の真珠をなくすわけにはいかない!復活させなければ!もう待ったなしでした。
2022年3月。ようやくスタートしようとしていた広島でのプロジェクトが、不可抗力のアクシデントにより水の泡に。その直後、事業実施場所のアプローチをする中、気軽な気持ちで行った鹿児島県の視察ツアーを通じて、南九州市から企業誘致の案件を紹介されました。
その環境から言って「掛け流し式」は難しい状況です。私はどこかでずっと、海と同じ環境を陸上の水槽につくれると思っていたところがあります。
もう迷っている場合じゃなかった。真珠の師匠、松下さんらが考えていた「閉鎖循環型」に、チャレンジするときが来た!と思いました。
6月には南九州市での完全閉鎖循環型の陸上養殖プロジェクトをスタートさせました。蓋を開けてみれば、あっという間。翌7月には水槽内にアコヤ貝がイキイキ育つ環境、それどころかわかめや海苔までよく育つ生態系が生まれていたのです。
気がつくと、私たちはバクテリアや細菌類とお友達になり、自然の循環に従い、海の環境を水槽内に再現することに成功していました。大きな機械も薬剤も使わないこの陸上養殖は、自然に寄り添う新たな有機水産。究極のサスティナブルを実現した「未来型陸上養殖」です。
陸上で水が腐らず、その状態を保っていられることを、科学者達は「ありえない」と言いました。でもあり得えたのです。
いま、養殖魚の餌が不足し、漁業は逼迫しています。魚も閉鎖型陸上養殖が可能になれば、健全な環境で育った健全な食べ物が供給できることになります。それこそがSDGsへの貢献です。
「100年後の未来に真珠を届ける」をスローガンに立ち上げた組織でしたが、私の使命は真珠を超え、有機水産による持続可能な食糧生産にあると感じています。
魏志倭人伝によれば、日本最古の輸出品は真珠。遣唐使・遣隋使が貢ぎ物として鹿児島から中国へ真珠を運んだと記されています。鹿児島県の海は、太古に良質の真珠が採れていたことを意味しています。
このキセキのような偶然に気づいた瞬間、鳥肌が立ちました。
私は見えない糸にたぐり寄せられ、鹿児島の真珠に呼ばれたのです。
数々の出逢いや縁がつなぐ鹿児島での陸上養殖。キセキのように陸で生まれた美しい真珠の魅力を未来の世代に継承していくこととともに、鹿児島の地から世界へ向けて、キセキの真珠を発信していきます。